敵よりも恐ろしい味方

深夜アニメで「ようこそ実力主義の教室へ」というのがあるのだが…

これのサブタイが古典文学や哲学などのちょっと難しい書物から引用されてたりする。

で、少し前の回のサブタイで「無知な友人ほど危険な物はない、賢い敵の方がよっぽどましだ」というのがあったのだが…

これに似たような事を聞いた事がある…

第二次世界大戦の時だ。

嘗て日本は、独逸と伊太利と共に三国同盟を結んでいた訳だが…

この伊太利が正にとんでもなく危険な友人だった…

欧州大戦中期、独逸が仏蘭西はじめ周辺諸国を占領し、欧州併合を着実に進めていた頃、なにを思ったか伊太利のムッソリーニ北アフリカに突如侵攻を開始、リビア国内イギリス領に攻撃を開始した。

同盟国である独逸に何の相談もなく…

その当時、北アフリカの英吉利軍は兵力僅か1万程度。

これに対し伊太利軍は5万の兵力でもって攻め込んだ。

当然、伊太利軍の圧勝、英吉利軍は這う這うの体で命からがら埃及まで撤退し敗走した。

元英吉利領を占領した伊太利軍は勝利に浮かれ、ワイン飲んでパスタ食って歌って女のケツを追いかける、という伊太利の伝統を大いに謳歌していた…

そして、軍事的には全く何の行動も起こさないまま半年…埃及に撤退していた英吉利軍は兵力を30万に増強して反転攻勢に転じ、リビアで遊び呆けていた伊太利軍を急襲、完膚なきまでにぶちのめした。

それに慌てたムッソリーニヒットラーに泣きついて援軍を要請した…

ヒットラーとしても同盟を結んでいる以上無視する事も出来ず、渋々援軍を送らざるを得なくなった。

これが有名な北アフリカ戦線の始まりである。

そして“砂漠のキツネ”ことロンメル将軍と連合軍との死力を尽くした激戦が行われる事となった。

この、ムッソリーニに泣きつかれて嫌々北アフリカに援軍を送った事が独逸の敗戦の大きな一因となった。

というのも、ちょうどその頃、ヒットラーは対露西亜戦、通称“バルバロッサ作戦”の準備を進めており、正に露西亜に対して侵攻を開始しようとしていた矢先にこの事件が起こって予定になかった北アフリカに軍を派遣しなければならず、そのせいでバルバロッサ作戦は半年の延期をせざるを得なくなった…

そしてこの半年の遅れが致命的な失敗となった…

本来の計画では、春から開始して半年で作戦は終了、モスクワは独逸領になっている予定だった…しかもこの計画はかなり完成度が高くて本当に実現できるレベルの実現性が高い完璧な計画だったのに…

で、夏の間に戦う予定だったので兵隊さんは夏服着てたんだが…半年遅れて開始したので秋口から始まっちゃって冬の間中戦う事に…

露西亜の冬って…外にいるだけで人間が凍死するレベルの寒さなわけで…ドイツ兵の皆さんは…お察しください…

こうして独逸軍は惨敗し、後は敗走に次ぐ敗走で、終戦まで独逸軍は撤退戦に終始する事に…

念のため言っておくと、独逸軍の皆さんはこんな始める前から残念な状況になったにも関わらずめちゃめちゃ奮戦して、なんとモスクワまで21kmの距離まで大躍進してたりする。

元々の作戦の完成度の高さと独逸軍の優秀さによってそこまでの大戦果を挙げたのだが…

ここでヒットラーは2度目の失敗を犯す…

21?の所まで行ったんだからとっととモスクワ占領しちまえばいいものを、なぜが転進を命じて100?程南にある工場地帯の占領を指示したのだった…

当然、将軍達は猛反対したのだがヒットラーは取り合わず、この命令を無理矢理実行させた…

そして、どうでもいい工場地帯の占領なんてちんたらやってるうちに露西亜軍は体制を整えてモスクワに防衛戦を構築して独逸軍を撃退…

こうして独逸軍は出さなくていい犠牲を大量に出す羽目になる…この作戦に参加した独逸兵の皆さんの多くは「あのチョビ髭野郎」と自国の国家元首に殺意を抱いたという…

まあ、ファシストの頭やってるような奴は 自分が正しいと勘違いした大馬鹿野郎だったって事だね…

だから独逸軍人に暗殺されかかるんだよ…

そういう訳で生粋の独逸軍人はヒットラー嫌いな人、結構多い。映画「ワルキューレ」で描かれてたあれだ。

更に言うと、伊太利の方が独逸よりも先に降伏しちゃってな、その後はとんでもない事に独逸に対して宣戦布告!

同盟結んでたのに掌返しで敵に寝返るというドチクショウなマネに出た。

独逸にしてみれば困った時に助けてやった友達に後ろから刺されたようなもの…

で、これを称して伊太利が「敵よりも恐ろしい味方」と呼ばれるわけさ…

もうメチャクチャだぜ…伊太利…