この監督の作品では、初めて心から賛同できる映画でした。デビッド・O・ラッセル監督「ジョイ」(2015)。

どこまでも“上から目線”ですが、世界一わがままな映画ファンの一人である僕としては、その立場は譲れません。僕は見る側にいて、作る側には入れないわけですから、だからこそ自分を“神”の位置に置いて映画を語ります。どうせ映画関係者は僕のことを、“一人の観客”と平準化するわけですし。

物語は、子供のころから物作りが好きで、紙を切り抜いては工作をしていた少女ジョイ(イザベラ・クロベッティ)が、大人(ジェニファー・ローレンス)になって“手で絞る必要のないモップ”を発明、それがヒット商品となるが…というもの。

今回は概略の物語を知って見始めました。作品紹介にそこまで触れているから、2時間ちょいの映画の後半は成功したジョイの明るく楽しい生活が描かれるものと思っていたら、そうではないのでびっくり。まずヒット商品の発明まで1時間かかります。さらにQVCという通販番組で成功するけれど利益が出ない。そんな陰々滅々たる物語が展開します。けっこう辛い。

しかし、成功譚だと知っているから見続けることができました。とはいえ“娯楽”としては厳しいものがあります。だから劇場未公開なんでしょうね。「アメリカン・ハッスル」「世界にひとつのプレイブック」と、アカデミー賞レースを華々しく戦った映画を作った監督さんの映画にしては、とても地味な印象でした。

とはいえ、ジョイの父親ロバート・デ・ニーロで、母親がバージニア・マドセン、祖母がダイアン・ラッド(ローラ・ダーンのお母さんね)、父親の交際相手がイザベラ・ロッセリーニ、あ、忘れてた、賞レースの共演者であるブラッドリー・クーパーも出てます。これだけの顔ぶれで未公開って、さすが世界劇場公開で製作費を回収できなかった作品だけある。

とにかく暗い話ですが、でも僕にはジョイの一家の“家族愛”が救いでした。母親は現実を逃避してテレビドラマを見る毎日です。それを娘が必死に支える。父親の自動車修理工場は、今一つ繁盛していないのに、母親と離婚した父親は女を作っては外で暮らしている。そんな父親が女に愛想を尽かされ戻って来ると、やはり家族として受け入れます。

そもそもジョイも、別れた歌手気取りの亭主を地下室に住まわせている。そんなジョイを、親友たちがなんとか助けようとする。ジェニファー・ローレンスが薄幸の娘役と言うと、僕は彼女の出世作ウィンターズ・ボーン」(2010)を思い出します。あのけなげな小娘も今やアラサー。苦境を乗り切り成功した実話に、見事な肉付けをしていました。

簡単に言えば、“困難には自分で立ち向かう”そして“何事も諦めない”という、よく言われるけど、それができれば苦労はしないという内容なのです。簡単な成功物語として描いたら、それはそれでテレビのバラエティー番組にはなるでしょう。しかしこの映画は、家族愛というものを基本に据え、ようやくラストにほっとさせる苦難の映画を作り上げました。その手法には脱帽します。

とにかく曲者というか実力派俳優をこれだけ集めているわけです。さらに僕が知らなかったドイツ系俳優のエレザベス・ローム(写真3左)が母違いの姉を演じ、親友のジャッキーをダシャ・ポランコ(写真2と3右)という人が演じています。この二人がいい感じ。そうそう、いい感じと言えば今まで僕が嫌いだったブラッドリー・クーパーが、今回はいいですね。“敵対しても友人でいよう”とは泣かせてくれる。

それとQVC番組のタレントとしてジョーン・リバースが登場します。それを実際にジョーンの娘メリッサが演じていました。メイクのおかげもあるでしょうが、ジョーンにそっくり。草葉の陰からジョーンが喜んでいるだろうな、なんてことを感じさせるほど“家族愛”に切り込んだ作品です。辛い映画ですが、見て損はありませんよ。